浅瀬のこと

2021年8月25日

あの、あのあの、浅瀬本のお求めありがとうございました! もしかしてpixivから流入くださったのかもしれないのでここに書いてもしょうがないかもしれないんですが、それでも、ありがとうございました!! 少しでも楽しんでいただけますようにー!



浅瀬本で思い出した話。

この間出産した、愉快で聡明な友人がお子さんの名前を教えてくれた時、愛と祈りがたくさん詰まっているのがひと目でわかる素敵な名前で、そのように伝えたことがあった。とてもいい名前、このような祈りを感じる、って。

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そうしたら、友人は、よかった、と言って、こう続けた。『いい名前をつけてあげられたのかずっと心配だった。でも、名前を聞いた人たちが、『いい名前!』って言ってくれるから、ああ、いい名前をつけてあげられたのかなって、思えるようになった』。


それで、言わなかったけど、「まあ、たしかに、私が文章を書いている間もそうだなあ」、と思ったのであった。[1]子どもの命名と同人小説書きを並べると怒られるかもしれないけど、ここは私の城で、私の部屋だから、許して欲しい。


近頃は、「大丈夫かどうかの判断を人に頼らない(または、委ねない)」という気持ちになったので、そこは自分で解決するようにしているんだけれど、「よいと思ってもらえたかどうか」は気になってしまうし、そこはさすがに私一人ではどうにもならない。


そういう時に、「よい」「よかった」って教えてもらえると、嬉しいし、「ああ、私はよいものを作れたみたい」って思う。その感覚は、本当に、人から言葉を(数字ではなくて、言葉を)届けてもらった時にしか現れない。そして、私の中の、その作品の好きポイントがちょっと加算される。キラキラしたインクで、ちょっと、加算される。

そういうことが、たとえば『ここはまだ浅瀬』にもあったのだった。201号室に書いておいたように、私は「特定の二人の間に何が生まれるのか目を凝らすうちカプとコンビのいずれの岸にもたどり着けず永遠に漂流しがち」である。『ここはまだ浅瀬』、便宜上(狭義のCPがあるので)「石かり」と記載しているけれど、石かりじゃない話もあるし(そして未来永劫石かりにはならないかもしれないペアでもある[2]主に弊本丸の二振りのこと)、これはいったい……大丈夫なのか……というか石かりとは……神剣ゼミとは……という気持ちでいた。
本を出した後も。

それなので、読んでくださった方が、よかったよとおっしゃってくださることは、本当に嬉しい。漂流する夜の海の中で見つける船の明かりのように嬉しい。ああよかったな、と思う。そして、書いてよかったな、とも。

そんなわけで、書いていたときより、書き終わったときより、この本への好きポイントがキラキラ積み上がっているのでした。読んでくださる方のおかげで。

Web上の小説を読んでいただけること、本を手に取っていただけること、言葉をいただけること、全部ぜんぶ嬉しいことです。本当に。私はずっと「愛されるためではなく、愛するために書くのだ」と言っている(つもりだ)し、本心からそうありたいと思っているけれど、だからこそ、気に入ってもらえることは嬉しい。私が勝手に私の愛のために書いたものを、心に留めていただけるなら、それは贅沢な喜びだから。


ありがとうございます。それが言いたかったの。

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